日本のSMと海外のSMは歴史がちがう。
SMというジャンルは全世界でプレイ方式、シチュエーション、使用する道具が全然といっていい程ちがいがあります。
外国のSM
それぞれの国のSMという世界の作られ方は国によって全く違います。私も全世界のSMがどんなものなのか?はさすがにわかりかねますが、和式/洋式というちがいはある程度把握できています。
では、まず洋式のSMについて考えてみましょう。
外国のSMは裏社会が仕切る道楽であった
上流階級、いわゆる貴族の楽しみの1つとしてSM行為は道楽に使われていました、これはいろいろな資料の文献にもあるのですが、その当時の名称はSMではありませんでした。え?名称?そこまではわかりません^^;
貴族は定期的にパーティや食事会などを表でおこない、裏ではSM(特殊性癖)の持ち主が満足するような性行為をおこなっていたのです。そのプレイ内容まではわかりませんが、女性の奴隷を買い付けては特殊性癖プレイの相手をさせており、奴隷が死んだら捨ててまた新しい奴隷を買ってくるの繰り返しが行われていたそうです。
日本で言えば吉原の様なものなのでしょうか?
海外には日本にある風俗という歴史がありません、これは国のちがいでもあり、日本ではSM風俗も存在します。
しかし、海外にはSM風俗(SMクラブ)は存在しません(2000年代にはできています)、日本特有のものなのです。
海外でのSMは道楽、未だに道楽として楽しむ特殊性癖プレイなのが現状です。
日本のSMの発祥は?
では日本のSMは一体どこからやって来たのでしょうか?SM(エスエム)という名称から海外からの産物である事はまちがいないのですが、昭和40年に発行された国内のSM雑誌(当時1000円)は非常に高額な本でした。
一般サラリーマンの給料が良くても4~6万の時代です、棒付きアイスが10円しなかった時代ですので、この時代の1000円の本は非常に高価な値段でした。実はこの本、私は所有してた時がありまして内容は・・・
現在と殆ど変わり映えのないSM雑誌だったのです。
但し、コラムコーナーや読者の投稿などのページは一切なく、ただSMという世界を説明している本でした。
ページを開くと数ページ目に黒人(アメリカ人)が緊縛を習っている描写がありました、この頃にはすでに日本でのSMは緊縛が主流のプレイである事を物語っています。昭和40年、つまり1965年の時点ですでに日本のSMは緊縛を主流としたプレイであり、海外と同様に道楽の1つとされていたのです。しかしこの時点で名称は「SM」とされていますので、もしかしたらSMという名称が日本に入って来たのは昭和よりも前の時代なのかもしれません。
日本のSMは武芸十八般
日本のSMは武芸十八般の1つ、捕縛術を基礎とした緊縛を主流として一般の人達に蔓延していきました。が、実は日本も海外のSMに似た裏社会がありました。
日本では貴族はいませんが、お金持ち(上流階級)はいます。この上流階級の人達の中ではSMを嗜好とする人間も多く、専用のプレイルームやサロンを作ってそこへ女性を呼び、プレイをしていたのです。
というか、これ、今でもあるらしいです。
そういういわゆる上の人に付いている下の人が影響を受けて一般に流れ込んでいったのでは?と推測します。
海外のSMには緊縛がありませんでした、だから昭和40年のSM雑誌には外人が日本人に緊縛を習う描写があったのです。
今では全世界で緊縛SMは行われています、日本の緊縛SMという方式を世界に広めた人が明智伝鬼さんです、明智さんは主にヨーロッパで緊縛活動をおこなっていたと本人から直接聞いております。
緊縛の伝統がヨーロッパの中でもドイツ国にとっては相当な文化に値したのでしょう、ドイツでは非常に速い勢いで緊縛がはやっていきました。日本に緊縛を習いにくるドイツ人も少なくありません。
結論:日本のSMは捕縛術を基礎とした海外からの産物である。
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